このときの年齢は
OSSUN 40才
お母さん ?才
1 号 15才(高1)
2 号 10才(小5)
でした
この年,娘1号は高校生になり“毎年のGWや夏休みにキャンプばかりはイヤだ”と言いう声が相当大きくなっていましたが,何とか説得してのファミキャンです
連休後半に来ることになったのも,1号が休みを全部キャンプに使うことを嫌がったからだったと思います
ところでこの年は,前年に起きた阪神淡路大震災(平成7年1月)で自宅を失った被災者が公園でファミキャン用のドームテントに寝泊まりしているニュース映像が流れたりして,社会においてキャンプ用品が防災用品としても見直され,空前のキャンプブームになっていました
そんなキャンプブームの中で,連休後半という出遅れの現地入りですから,広大なフリーサイトの吹上高原キャンプ場だとしても満杯状態でした
キャンプ場側から入場を断られたのか自分で入場を諦めたのか,今となっては記憶が定かではありません
吹上高原が入れないので,近くの“オニコウベ・リゾートパーク”のキャンプ場に行ってみました
今考えるとすぐ近くで敷地が広大な荒雄湖畔公園でも良かったのですが,ここは国道108号線のすぐ脇ですので,国道を通る人から見られてしまいます それがイヤだったので当時のOSSUNとしては避けたという記憶です なお,このキャンプ場も混んでいたのは同じです
リゾートパークのキャンプサイトは“釣り堀”の横にあり,やっぱりほぼ一杯だったのですが,県道63号線からケーブルの山麓駅に向かって登っていく路の左脇の林の中が空いていたのでそこにテント張りました
一応ここもキャンプサイトのようです
当初は林間の脇の広場(下の写真の左上奥)に“リッチウェル”のレクタングラー型のタープ“レクタープ(600㎝×450㎝)”を張ろうとしたのですが,地表は草地ですがすぐ下が砂利でペグが深く入らずタープが風で飛ばされたのでここをあきらめ,テントを張る木台がある林間に設営することにしたんです
林間のため大きなタープは張れず“スノーピーク タープルーフ(300㎝×300㎝ 廃番)”を張っています
この林間サイトには,OSSUN家以外に若い男性二人組がテントを張っていました
このときのOSSUN家の夕食は焼き肉だったと思います その二人組が見ていますが,人に分けるほどの量はありません あしからず~!
このときも“ファミキャン日記(
平成4年5月 吹上高原キャンプ場編)”のように釣り堀に行きましたが,そのときのように1号に9匹も釣れるはずもなく,確か家族の人数にも満たない3匹くらいだったような記憶です
子供達の雰囲気も,平成4年と比べて大分おとなしくなっています
1号はこの年から高校生ですし,休日は友達と過ごすことの方が多くなりました 高校生とは言え女子である1号を家に一人残してキャンプに出かける訳にもいかず,また女房も気乗りしなくなり,結局キャンプ自体になかなか行けないという状況になってしまいました
当時の我が家の焚き火台です 某ブログによると,当時のキャンパーにとって衝撃のデビューだったスノピの“焚き火台”はこの年(1996年)に発売が始まったとありました
このキャンプが,多分我が家のファミキャンの”ラス前”だったと思います…
ちなみに,この年の夏は“普通の旅行がしたい”という子ども達の要望に抗しきれずキャンプをあきらめました…
金が掛かったなぁ…
おしまい
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