地図を見ると楢葉町は,町の面積の約三分の二以上が福島第一原発から半径20キロ圏内であり,このスポーツ公園もその圏内です!
第一原発から20㎞圏内の地区は“避難指示区域”だったのですが,平成24年8月10日から避難指示解除準備区域に再編され,夜間の滞在は出来ないものの,日中はある程度自由に立ち入ることが出来るようになったようです。
我が家が昔キャンプを楽しんだところが,原発事故により人が住めなくなっているという事実にショックを受けると共に,優良なファミリー向けキャンプ場が利用できないことが残念です。
被災された町民の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
さて,平成6年8月当時のOSSUN家は,
O S S U N:38才
お母さん:3?才
娘 1 号:13才(中学2年)
娘 2 号: 8才(小学3年)
でした。
暑さもピークを迎えていたお盆の最終日からの出撃です。国道6号線を南下していきました。
ここはオートキャンプ場ではないため,駐車場からテントサイトまでは備え付けのリヤカーで装備を運びました。これまでのオートキャンプと違い,テントサイトまでの荷物運びはファミキャンでは初めてです。
海風が強かったので,タープは海側を下げました。
子ども達もしっかりお手伝いができるようになりました。
ハンゴウでご飯を炊いてま~す!セオリーどおりフタには石をのっけてますね~
娘2号は小学3年ともなると,包丁を持ってのお手伝いができます。
この年は,娘1号が中1のときに夏休みの宿題で作った(というか“作らせた”)ハンモックを持ってきました。イヤイヤ作ったのに,使う段になると子ども達が奪い合いです。
ハンモックの作り方は雑誌“OUTDOOR”に掲載されていました。(^^;)
このキャンプ場は海がすぐ近くにあるのですが,海水浴場にはなっていません。
しかし,運動公園ですから…
海水浴は,楢葉町の南側に隣接する広野町の近くにある“岩沢海水浴場”に行きました。J-VILLAGEのすぐ近くです(J-Villageは現在,原発事故対応にあたる東京電力の単身者用宿舎になっているようです。)。
“毎年キャンプばっかりでイヤだ。海水浴もしてみたい!”とゴネていた1号の希望に妥協し,海水浴もできるキャンプ場を選んだんだから,心行くまで海を楽しんでくださいませ!
なお,平成5年に我が家のファミキャンが無かったのは,やっぱり,1号がゴネたからだったような記憶です…
この頃のキャンプに対する1号の反抗的な態度から,我が家のファミリーキャンプが今後も続けられるかOSSUNは不安をはっきり感じるようになっていました。
お母さんは中々海に入りません…
大サービス!“OSSUNの水着姿”です!! この頃は細かったし腹もそんなに出てない…
今はもっと“肥えて”ます
(^^;)
この海水浴場から隣町にある東京電力“広野火力発電所”が見えました。巨大なオイルタンクが何個も見えます。この発電所は大震災で被災し,1~5号機まで全機が運転できない状態に陥ったようですが,復旧作業の結果,2011年7月16日に全機の運転が再開したということです。
今回のキャンプは,天気も良く海水浴も楽しめた,中身の濃いものでした。
仙台への帰り道では,田村市にある“あぶくま洞”を見物してきました~
おしまい
動画(13分弱)もご覧いただければ幸いです。
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